そんな時に僕たちの団体では、お医者さんとうまく連携して、熱のこどもを預かってあげています。これで働くお母さんの危機も乗り越えられますし、働くお父さんと喧嘩もしないですみますし、子どもも安心して熱を出していられるのです。
さてさて、そんな働く家族を助けるお仕事をしている僕自身はまだ実は20代独身で、家族を持ってはいません。だけど20年後はこんな家族を持っててやるぞ!っていう夢があるのです。それはアメリカ人の父の影響です。
といっても僕の親父は埼玉出身の下水道の営業マンで、青い目をしているわけではなく、もう一人の父親、ホストファザーの影響です。僕は高校時代、アメリカの片田舎に1年間留学していました。そこで出会ったのがホストファザーのジェンセンおやじです。ジェンセンおやじは農家を経営していて、牛やら何やらを飼育していて、昼間は牛の角を切ったり、灌漑装置のチェックをしたりしていました。
いつもはそんな感じで暮らしていたのですが、ある夜から近くのコミュニティカレッジに通い始め、「俺は夢だった中学校の先生への道を歩み始めた」と言い始めました。
またある日、スクールバスに乗ってみると、いつも家で会うジェンセンおやじに会いました。おやじがバスを運転しているのです。家が遠くて通えない子どもたちのために、地域の大人たちが持ち回りでバスをボランティアで運転して、学校まで届けていたのです。
また更にジェンセン家は子だくさんで、6人くらい兄弟がいました。それでいてジェンセンママは子育てで手一杯というわけでもなく、ケーキの先生をしていて、結婚式などでは大きなケーキを自分で作り上げ、届けに行ったりしていました。
家事は子どもたちで分担表ができあがっており、基本的なことは4歳から18歳までの子どもたちで回していました。新しいこどもである僕も雪かきやごみ捨ての担当となり、ジェンセン家の栄えある一員として活躍したのでした。
ジェンセンおやじは家族のためのミーティングと称して、週1回子どもたちを集めて色んな話をしました。中には退屈な話もありましたが、子どもたちはそんなジェンセンおやじを尊敬しているようで、なんだか昔の日本の親父もきっとこんな感じだったんだろうなぁとアメリカなのに不思議な気分になりました。
ジェンセンおやじは、仕事をしながら勉強をして夢を追って、更には地域コミュニティにも貢献して、家族を愛し、愛され尊敬されていました。子だくさんのくせに日本人まで受け入れて、世界にも貢献していました。
ジェンセンおやじは、僕の「父親」というものの持つイメージを変えました。僕は下水道の営業マンの実の父親のイメージが父親というもので、僕は彼が嫌いだったわけではないのですが、その頃の思春期の高校生と同じように、あまり自分の父親にも興味がありませんでしたし、特別な父親像を作り上げてもいませんでした。
けれどジェンセンおやじは、僕に父親という豊かな人間像を植え付けてくれたのです。自分も年を取った時に、ジェンセンおやじのように、自分の中にいくつもの世界を持つことができれば、退屈しないし楽しいだろう、と将来を楽しみにすることができたのです。
年を取ることは寂しいことではなく、わくわくすることなのだ、と何となく気づいたのです。
ジェンセンおやじとは、留学が終わる前日に僕がその時流行っていた男向けピアスを空けたことから大喧嘩をし、それから二度と言葉を交わすことはありませんでした。もし赤ら顔の彼ともう一度だけ会えるとしたら、父親になるということ、小さな自分の中にいくつもの大きな世界を抱え込めるんだ、ということを気づかせてくれた彼に、言えなかった言葉をゆっくりと言いたいと思います。
ありがとう、父よ。あの時はごめんね。
僕は働く家族のために働いています。いつか日本社会がたくさんのジェンセンおやじと、その家族たちで溢れることを夢見て。
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当記事は、NPO法人フローレンス 代表理事駒崎弘樹の個人的な著述です。
病児保育を仕事にしたい、求人・就職に興味がある、という方は、こちらまでどうぞ。
いつもご支援頂き、誠にありがとうございます。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。
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読みながら、ジェンセンおやじ=我が家の父に思えてしかたなくメッセージを書きました。我が家の父は、生粋の日本人でしたが、会社を営み、今で言うファザーリングを地で行く人で、送り迎えでも、家事でもなんでもやりました。そんな父も、激務から糖尿病→網膜はく離→人工透析→心臓病と大病を患いました。そんな中、私が大学3年のとき、【牧師になりたいから、大学に行くね】と言って、我が家には大学生が弟を含めて3人になりました。
父は昨年、教会の牧師として3年目に、ある日突然、天国へ旅立ちました。
教えてもらったことが、山ほどあって、これから恩返しができると思っていた矢先の、父の死でした。
これから、駒崎さんが、ジェンセンおやじさんのようになっていくのと同時に、私も父の子育てや生き方をいろいろな場面で、継承していきたいし
広めていきたいと思っています。
ジェンセンおやじさん化計画、一緒にがんばっていきましょう。
2月9日のシンポジウム参加させていただきます。
駒崎さんの講演、楽しみにしています。
素敵なお話ありがとうございます。
もし赤ら顔の彼ともう一度だけ会えるとしたら
きっと会えますよ。すべてはそこから また
ハジマルかも。