年末、実家の母に映画に誘われた。
普段母親と一緒に何処かに行ったりというのは30も近くなった
この年でさすがにしない。最後に母と二人で何処かに行ったのは
1年前に姪が生まれた時に、下町の墨東病院(僕もここで生まれた)
に一緒に行った時だった。
まあ年末だしたまには良いか、と思って見に行ったのが、
「いのちの食べかた」。
明らかに重そうなテーマをチョイスしてくるあたりが、
わが母ながら渋い。
実際に見てみると、想像以上に重い。良い意味で。
これが母ではなく初めて一緒にデートする女の子であったら、
その日に良い感じに持ち込もうという戦闘意欲を根こそぎ持って
いかれるような、そんな胃カメラを飲まされたような
映画であった。良い意味で。
まず説明すると、セリフは一個もない。起承転結はない。
ストーリーラインはない。ただ淡々と、私たちが口にする
食材(牛や豚や鳥や野菜)が「いかにして作り出されているか」
を描いている。
ひよこがピッチングマシンのような機械で高速により分けられ、
牛が額に電気ショックのスティックを当てられ、痙攣しながら
死んでいき、そのままベルトコンベアーに乗りながら吊り上げられ、
工程を踏んで解体されていく。
豚の種付けも生殖行為を行わせず、長いスポイトを性器に注入し、
スピーディーに行われる。
声高に何か叫ばれるのではなく、淡々と同じペースでそうした
異様、だけど当たり前の光景が照射される中、だんたんこちらの
感覚が正常な状況からずらされていく。
次第に生ある牛や豚や家畜たちが生産物のように映り、機械や
工場、生産工程の方が生き生きと動き始め、分けが分からなく
なってくる。生き物が生き物として見えなくなって、あらゆる
部分がオートメーション化されたその工程の生産性に畏怖さえ
感じてくる。
殺される時の牛は自分が何をされるか理解していて、必死に
後ずさりするが、1秒も立たずわなないて食材への一歩を歩む。

当たり前の話だ。だけれど自分は混乱する。なぜ僕は胸が突き刺される
ような思いがしているのだろう。今まで食っていたものは当然
こうして出来上がっていて、それを知らないわけじゃなかった
だろう?なぜあらためて憂鬱な気分になるのだい。
そこがこの映画がわざわざ作られた、あるいは作られねばならなかった
理由ではないかと勝手に思う。つまり理解することと、身体として
感じることとは違うことなのだ、と。それはステーキと言うものを
理解することと、それを食べてみて味わって知ることが全く違う
ように、違うことなのだ。
この映画を見ることで、僕たちは身体として知るだろう。自分は
生き物を食って生きているナマモノだということを。
そして自分たちが如何に生き物としての食べ物から遠ざけられ、
隔離され、漂白された無害で匿名的な「料理」を口にし、それに
ついてなんら想像力を働かせていなかったかを、静かに咀嚼するのだ。
映画館を出て、母とこの映画からの学びを日常にどう生かそうか議論しつつ、特にどうすることもできなくて、二人で鬱々として家路についた。
家族で集まってスキヤキだったのだが、ちっとも美味そうではなく、K1が始まる前のお笑い番組ではガングロなタレントが食卓に並んだ色んなものを平らげていて、それに会場が大喜びしていた。
しかしそのタレントやテレビを批判する資格は、正直僕にはない。目の前の料理と生き物とを繋ぐ回路へのリアリティを持ち得なかった僕は、食料自給率40%の日本社会(フランスは130%、アメリカは120%、イギリスでさえ70%)ののんきさに、何もしてはこなかったのだ。
何もせずに吉牛でビビン丼を塩分に注意しつつも食っていた、ただそれだけのことしかしていなかったのだ。食いまくるタレントに何が言えよう。
おかんよ、大きな学びを大晦日にも関わらず与えてくれてありがとう。
おかん自身も憂鬱になるという自爆テロ的な教育を30近い僕にしてくれて、どうもありがとう。
お陰で2008年は自炊をもっとしようと思うことができました。そんな事をしても日本の食料自給率の向上や工業化された農畜産業の非人間性の問題にはなんら貢献しないやもしれないけども、それでもビビン丼食ってギャル曽根見て喜んでいるよりは、ロース一枚分くらいマシかなと思って、行動に起こそうと思うよ。
ゴチソウサマデシタ。
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当記事は、NPO法人フローレンス 代表理事駒崎弘樹の個人的な著述です。
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これからもどうぞ宜しくお願い致します。
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今年もお世話になりたいです。
私もいのちの食べ方見に行きました。
しかし、見終わって何と言葉に残せばいいのか、明日から何を変えればいいのか分からないまま今の今まできてしまいました。
オートメーション化した食料の生成過程は「農業」ではなく「モダンタイムス」と言っていた友人の友人に非常に納得しました。
それにしても、大晦日にこのチョイスは流石です!大きな置土産ですね〜。
ランチ時に呼んでしまいました・・・
お母様のチョイスが本当にすごい。
親子でこの映画を観るって、めったにいない?
いや、反対に母親が子供に見せたいと思う映画かもしれない。
私達は何かを食べないと生きていけないけど、せめて残すのはやめようね。
大根の皮から葉っぱまで、丁寧に料理して食べつくそう。出来るだけ野菜を食べようねって子供に伝えたいから。