※ネタバレしますので、ご覧になる予定のある方は、クリックしないで
ください。

そこには、グローバリゼーションの痛みが描かれていた、と
感じるのは僕だけでしょうか。
舞台は東京を髣髴とさせる架空の都市である宝町。
そこに二人の孤児が住む。名前はシロとクロ。
クロは大人でさえもぶちのめすバイオレントな
小僧で、「俺の街に触るな」と縦横無尽に駆け巡る。
しかし街には不穏な匂いが立ち込めてくる。
ディズニーランドを想起させるグロテスクな
アミューズメントパーク「こどもの城」が建築されて
いき、昔ながらの雑多で汚れていて、けれども暖かい
街並みを破壊していく。
街のヤクザも、こどもの城を建てる連中と結託し、
利潤に群がる。昔ながらのヤクザであり、「シノギも
女も全てこの街から教わった」ネズミと、この街以外
に行き場のないクロは、「こどもの城」の異人たちと
戦う。
まさにグローバリゼーション(に見えて実はアメリカ
ナイゼーション)に覆われる日本、いや世界を
表象しているではないですか。
(グローバリゼーションって何?っていう人は、ここを参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
そこで問題になるのは、「レクサスとオリーブの木」
でも描かれているように、グローバルなもの
(レクサス)が、ローカルなもの(オリーブの木)を
洗い流し漂白してしまうという構図。
自らの国土がどんどんと入れ替え可能なグローバルな
ものになることに対して、いやそうじゃないよね、
僕たちには僕たち固有の、かけがえのない文化や守るべき
習慣や風景があるんだ、というムーブメントは起これど、
押し進む一元化・単色化は進んでいく。
ナショナルチェーン群にとって代わられ、空洞化する地方の
商店街をご覧になったことがある方々には、わかるように。
かといってグローバリゼーションの単純な否定、素朴な
反グローバリゼーションは、経済的困窮を、
経済発展の遅れをもたらしてしまう。
ではいかにして、グローバリゼーションと相対せば良いのか。
そういった文脈を考えつつ。「鉄コン」を読み進める。
ネズミは街を塗り替えようとする自分の組を割る。
こどもの城責任者
「つきましては(こどもの城)2号店なるものの建設を予定しておりまして、
場所は三丁目なのですが。」
ネズミ「三丁目には源八のやっているストリップ劇場があります。50年も
昔からこの街の男があそこで大人になりました。」
組長「しかし、あそこも今じゃ踊り子の数が客上回るって話じゃねーか。
だろ?ネズミ」
ネズミ「この街の性格はこの街の人間が創るべきだという話ですよ」
こどもの城「そういったいにしえの地元意識がね、街の発展にブレーキをかけるんですよ。」
組長「そうだぞネズミ。グローバルに物考えろ、グローバルによ。」
ネズミ「だいたいあんたらと俺らとじゃ、この目に映してきた風景が違いすぎるだろ。
おいそれと『よう兄弟』ってな具合にゃいかねんだよ。」
しかしネズミは寝返った自分の舎弟、木村(こどもの城に脅迫されている)に
射殺される。
直後に舎弟はこどもの城の責任者を撃ち殺す。
こどもの城「(やられた味方の死体を足蹴にし)替えはいくらでもいる。本社に
頼んでもっと性能の高い奴を取り寄せるさ。(タバコの)火だ、木村」
木村「同志じゃねえのかよ。性能・・・か・・・。」
こどもの城「壊れた部品はスペアで補う。これ、常識」
木村、銃を構えて。「火だ」
では雑多な宝町の漂白化は終わったか。否。責任者は似た顔の
人間に「取り替わって」、こどもの城の建設は進むのだった。
ここまでは本当によく出来ている。松本大洋の天才を、新たに
確認できる内容だ。
では肝心のシロとクロは?グローバル化に対してむきだしのままの
暴力で抗う(昨今のグローバルテロリズムの表象か)クロはどうなるのか。
そこに来た時、物語は急速に失速していく。
急に「自分との対話」が始まってしまう。今まさに世界を覆う時代の変化と
矛盾(グローバリゼーション)を素晴らしい箱庭(物語世界)
に再現し、躍動的に描いていたにも関わらず、スターウォーズばりに
「ジェダイ対ダークサイド」な内面系のありがちな戦いに入ってしまうのだ。
おいおい、待ってくれ。ダークサイドかジェダイか、の二元論に堕して
しまったら、まさに正義かならずものか、の「アメリカニズム」に逝っちゃう
じゃないか。
そしてクロは自らのダークサイドに打ち勝ち、シロと南の島で楽しく遊ぶ。終わり。
そんなバカな。南の島に行ったら、グローバリゼーションから逃げられるのか。
違う。世界中のあらゆる場所に、その手は伸びているのだ。
「ダーウィンの悪夢」を見てみて欲しい。そこでは典型的な「途上国を襲う
グローバリゼーション」が描かれる。

貧しい国。豊かになりたい。「近代化」しよう。そのためには外貨を
得よう。これまでの自給自足的な農業をやめ、商品価値の高い
商品作物に乗り換える。しかし作った商品作物は「世界中で一番安いところ
から買える」グローバリゼーションの「恩恵」ゆえ、買い叩かれる。
売っても売っても、経済的には豊かにならない。自分たちでつくった作物は、
高くて自分たちは買えない。飢饉があったら、食べ物があるにも関わらず、
飢える。戻ろうにも、自給自足的な農業は破壊されている。
構造は固定して、永久に回り続ける、というような。
「ダーウィンの悪夢」では、それがナイルパーチという魚であったが、これがカカオでも
ダイヤモンドでも、同じような構造がありとあらゆる途上国で浮き上がるのだ。
南の島に行ったら、笑顔がある?悲しいけれど、そんなわけがないのだ。
更に複雑なのは、今日的なグローバリゼーションは、「みんなが望んで」グローバリ
ゼーションの恩恵にあずかろうとしている点。
そしてグローバリゼーションで故郷が漂白化されている被害者であるはずの
宝町(日本)も、ダーウィンの悪夢の舞台であるタンザニアからすればグローバリ
ゼーションで甘い汁を吸っている加害者側であること。
誰が悪いのか、決して名指しできないがゆえの苦悩。
僕は松本大洋の天才を尊敬してやまないが、グローバリゼーションとどのように
相対すのか、いかにしてオルタナティブな近代を志向するのか、われわれ日本人は
経済発展を遂げつつも、他国に住む多くの他者を搾取せず、更に自己の
アイデンティティを漂白されない姿勢を持ちうるのか。という問いの
眼前まで行き、そこで天才が挫折してしまったその様から、この問題の
一筋縄ではいかなさが実は垣間見えるのかもしれないと、逆に思うわけで。
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当記事は、NPO法人フローレンス 代表理事駒崎弘樹の
個人的な著述です。
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これからもどうぞ宜しくお願い致します。
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そうですよね。自治体行政は「小さな自治体」を
目指しつつも、福祉をおきざりにしないやり方で
やらないといけないですよね。
そのためには「コーディネーターとしての自治体
行政」という話になり、協働、というキーワードが
導き出されますよね。
しかし、田中さんのご指摘の通り、行政とNPOの
協働に関しても、好事例ばかりではなく、課題も
多い状況ですよね。
とはいえ流れは止まらないと思うので、何とか協働
に関するノウハウを蓄積していき、それが共有されて
いくような形で、貴誌が貢献されていくことが
望まれますね。
すばらしいお仕事だと思うので、頑張って下さい!!