2002年06月04日

2002年6月4日

親愛なるDavid Jensenへ

最近、精神的な「自立」とはなんだろう、とよく考えるんだ。
僕は自立したいと思っているし、他人にもそれを求めている。
自立(independence)とは、依存(depend)しない状態。
誰かに心の拠り所を過剰に求めたり、特定の人抜きでは自分が
自分としてしっかりと立っていられないような人間には
なりたくないし、僕が魅力的だなと思う人の中には、依存して
いる人ってのはそれなりに少ない。

でも、それって非常に難しい。傷ついた時は誰かに声をかけてもらいたいし、
誰かに認めてもらって初めて自分の価値を見出せたり、ってのは
ごく当たり前なことだったりする。

突然こんなことを言い出しているのは、自分自身全く自立してない
な、と最近気づいてしまったからなんだよね。

最近の僕と言ったら、思い出したら思わず舌打ちしてしまうようなこと
ばかりしてしまっているような気がする。
君に言ったら教会にひっぱっていかれるか、肩をすくめられてしまうような
振る舞いをしていて、本当に情けないよ。

それはおそらく僕個人が自立していないことに、根本的な原因が
あるような気がするんだ。

つらかったり、寂しかったり、不安定だったりした時に、解決に他者を
欲してしまう、寄りかかる何かを欲しがってしまう構造。
それでは成長できないと、わかっていながら。

ただこうも思う。誰にも頼らないことが自立か、と。そうではないはずだ。
自立とは、自分だけで立つ、ということではないだろうと思う。
むしろ、自分が多くの他者達によって、立たせてもらっていることを
受け止め、その前提で自らが一歩踏みだしていくことではないか。

僕自身、多くの人に支えてもらって、そして多くの仲間に恵まれて
ここまで来たはずなのに、一人きりで立とうともがいてしまっている。
ある意味それは大分おこがましい。何より僕がすべきなのは、
他者への感謝であろうね。

答えはでないのだけれど、僕はもう少し、部屋の隅でいじけて体育座り
している自分自身の声をゆっくり聞いてあげる時期なのかも
しれない。手を握って、まっすぐに目をみて、聞いてあげても
良いのかもしれない、と思ったよ。


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posted by 駒崎弘樹 at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記(過去blog倉庫) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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